旧ユーゴスラビアから各民族が独立した国をつくる中、
3民族が混住することから内戦となり、
貧しい国になってしまったボスニア・ヘルツェゴヴィナ。
停戦後、日本はこのボスニア・ヘルツェゴヴィナに地味ながらも
効果的な経済援助をして、現地の人達に喜ばれています。
その代表例が、路線バスへの援助です。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの主要3都市(サラエボ・バニャルカ・モスタル)に、
日本はODA(政府開発援助)の一環として新車のバス車両を援助しました。
3都市のうち、Seaviewはバニャルカを2000年と2003年に訪ねました。
ここでは、市内いたるところで日本が援助した真っ赤なバスが走っていました。
ここでポイントになるのが援助の方法です。
まず、バスのメーカーはドイツのMAN社製を採用しています。
そして、バスを援助するだけでなく整備工場の建設や
さらに修理する整備士の養成まで同時に援助を行ないました。
これは援助したバスを大切に扱ってもらい、
それによって得られた利益をもって、
将来自らの資本で車両の更新ができるようにすることを目指しています。
つまり、自立に向けた援助、というわけです。
この件に関してはスルプスカ共和国
(ボスニア・ヘルツェゴヴィナを構成する2つの政府のうちのひとつ)の
当時の副首相が「金額は決して多くなくても、基盤整備に重点をおいて
援助してくれる日本政府にはとても感謝している。」と述べていたほどです。
また、援助されたバスの運転手からは「新しくて運転しやすい。
日本の人々には本当に感謝している。」と言われました。
ヨーロッパに行って、日本が果たす役割を見るのも
また興味深いことであるのは間違いないようです。