今回から浅草浅草寺に移ります(全5回)。
最初はいきなりですが、「雷門」です。しかしこの雷門本当の名前を御存知ですか?応えは、提灯の裏に書いてあり「風雷神門」というそうです。私も恥ずかしながら始めて知りました。旅をしていると、本当に自分が今までどれだけ物事を知らなかったかといつも、感じさせられます。
■浅草寺とは(ウィキより)
浅草寺(せんそうじ)は東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺である。山号は「金龍山」。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。
『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると、浅草寺の草創の由来は以下のとおりである。推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。
観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像であると言われるが公開されることのない秘仏のため、その実体は不明である。その後大化元年(645年)、勝海上人という僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めたという。さらに平安時代初期の天安元年(857年。天長5年(828年)とも)、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が来寺して「お前立ち」(秘仏の代わりに人々が拝むための像)の観音像を造ったという。これらのことから浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。天慶5年(942年)、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの時の創建といわれる。
本尊の聖観音像については、現在の埼玉県飯能市岩淵にある岩井堂観音に安置されていたものが大水で流されたという伝承がある。
写真27
canon EOS5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/80 F4 ISO100 EV+0
定番中の定番。観光客でこれを撮影しない人は殆どいないでしょう。
写真28
canon EOS5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/60 F3.2 ISO100 EV+0
多くの観光客に押されながら、根性で天井を撮影してみました。
写真29
canon EOS5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/40 F3.2 ISO100 EV+0
冒頭にも書きましたが、これが雷門の正式名所です。意外とみなさんこちら側も同じものが書いてあると思っているようです。