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ヴェッテル大逆転で終わった波乱の2010年シーズン。その一方でF1から去っていったメーカーがある。それはご存知ブリヂストン。
派手なセレモニーもなく、華々しい記者会見もなく、“縁の下の力持ち”であるタイヤ・メーカーらしく、彼らは渋く静かに去っていった。
散り際や去り際をとても大事にする、日本人らしい綺麗な去り方だとボクは思う(全く余談だが、某日系2大メーカーの去り際と比べると、同じ日本人とはとても思えない美しい去り際である)。
ご存知の方も多いだろうが、昨年末にブリヂストンが撤退を表明した時、「留まって欲しい」というチームや関係者が大半を占めていた。聞くところによると、ブリヂストン内部にも「残りたい」という意見もあったようだ。個人的に思うのは各チームからお金を徴収することで存続するということもできたと思う。
ただ、彼らは初志貫徹で2010年を最後に撤退することになった。誠に残念だが、彼らの意思を尊重したい。
日本企業はおろか世界的企業でもF1関係者から「留まって欲しい」と言われた企業はブリヂストンぐらいではなかろうか?と思う。また「F1でやるべきことはやった」と胸を張って撤退するのもブリヂストンぐらいだろう。
彼らが登場する1997年まで、タイヤの価値はそれほど重要でなかったと思う。だが、それを一気に知らしめたのは1997年のハンガリーGPではなかろうか。
このときD.ヒル+アロウズ・ヤマハA18+ブリヂストンは、タイヤのブリスターに悩まされたM.シューマッハ+フェラーリF310Bに猛追。ヒルはシューマッハを11周目にオーバーテイクしてトップに立つ。
それから何と76周目までトップを力走するが、ハイドロ系のトラブルで2位陥落した。このヤマハ・エンジンとブリヂストンのパッケージの激走に胸を熱くしたファンも多いだろう。
ハンガロリングは毎年真夏に開催され、決勝には路面温度が非常に高くなる。また他のカテゴリーのレースが少ないため、路面が非常に汚れておりマシンがよく滑る。それに加えて短い距離の中でコーナー数がとても多く、タイヤの旋回運動がとても多く、総合的にタイヤへの負担が非常に大きいサーキットである
そしてヒルというドライバーは、かねてよりタイヤの使い方が上手いと評判のドライバーだった。彼のタイヤに優しくスムースな走りとブリヂストン・タイヤの性能が上手く相互作用し、ハンガロリングのトップ快走を産んだものと思われる。
この事実は、長らくグッドイヤー独占供給だったF1に「タイヤの性能差の重要性」を知らしめたようだ。特に下位チームになればなるほど、タイヤに対する知識と関心が薄く、トップチームでもグッドイヤー独占供給ということも相まって、マシンを造ってからタイヤをつけるという発想だったと聞く。
現代ではタイヤの性能差からマシン開発を進めるのが普通だが、ブリヂストン参戦時はタイヤの扱いとはその程度だったという。
ブリヂストンは、参戦2年目の1998年にマクラーレン・メルセデスと組んでタイトルを獲得している。この年よりフォーミュラー・カーには前代未聞の“溝付きタイヤ”というレギュレーションが制定され、ブリヂストンにとってチャレンジの年となった。が、それ以上に重要だったのは、マクラーレンというトップチームと組んでタイヤを開発するという点だと思う。
このコラボレーションが後にフェラーリとタッグを組んで、タイトルを総なめすることに繋がる。と書くととても簡単だし、記録を見ても数字だけが並んでいるだけだ。が、その裏には休む間もなく開発に勤しんだ技術陣の努力があることを書いておきたい。
ブリヂストンが参戦してから、溝付きタイヤの導入〜ミシェランとのタイヤ戦争〜再び独占供給、スリック・タイヤ復活と、まるでF1におけるタイヤの開発と実験台にされた14年間だった印象がある。
F1のレギュレーションがもっと毎年均一化されていれば、ブリヂストンのF1における費用が抑えられたのでは?と思えてならない。また個人的には溝付きタイヤという“机上の理論の落とし子”の導入期間があまりにも長すぎたように感じる。それは他のカテゴリーのタイヤ開発に直接フィードバックできないといったデメリットや、レーシング・ラインが固定されてしまい、オーバーテイクが減少するといったことを産んでしまった。
ブリヂストンがこの溝付きタイヤの導入期間中に撤退しなかったことが不思議でもある。色々と書くことも多いが、そういった激動の期間を経てもなお職務を全うしたことは、同じ日本人として誇りに思う点でもある。
話は変わるが、ブリヂストンの公式HPに「BRIDGESTONE F1活動14年の歴史」と称したサイトが開かれた。ここではブリヂストンが活動した1997〜2010年までの間で「心に残る名シーン」と「ブリヂストンF1活動へのメッセージ」を募集している。
この期間でボクが心に残ったブリヂストン絡みのシーンとしては以下のレースがある。
・2010年アブダビGP、S.ヴェッテルの涙のゴールシーン
・2010年日本GP、小林可夢偉がJ.アルグエルスアリをヘアピンでアウトから抜いたシーン
・2007年カナダGP、佐藤琢磨がF.アロンソをオーバーテイクしたシーン
・2006年トルコGP、F.アロンソがM.シューマッハを抑えきったシーン
・2006年日本GP、M.シューマッハが鈴鹿で1分30秒を切ったシーン
・2004年日本GP、M.シューマッハの予選アタック
・1999年日本GP、スタートでM.ハッキネンがトップに立ったシーン
・1998年オーストラリアGP、ブリヂストン初優勝のシーン
・1997年ハンガリーGP、ヒルがトップ快走したシーン
正直なところ、ブリヂストン絡みでなければまだまだある(2004年アメリカGP、琢磨が3位表彰台に立ったシーン、2005年日本GP、ライコネンが16台ごぼう抜きしたシーンなど)。またマニアックな視点でブリヂストン絡みでもまだまだある(追加は上記サイトに書こうと思っている)。
上記はほんの代表的な一例だ。一方2000年ベルギーGP、ハッキネンがシューマッハをオーバーテイクしたシーンは伝説となっているが、正直ボクにはピンとこない。なぜならタイヤにブリスターが発生し、何とかゴールまで持っていこうとしていたシューマッハを応援していたからだ(聞いた話だが、浜島さんのベストシーンはこのベルギーでのオーバーテイクだという)。
犯罪捜査でも靴の減り方で犯人像が分かるというが、タイヤでも減り方でマシンの特性やドライバーの特性も分かったりする。そういったことをブリヂストンの浜島さんは伝えたかっただろうし、実際に彼は伝えようとした。
そういったブリヂストンの努力があったからこそ、上記名シーンが鮮烈かつ詳細に蘇ってくるのだと思う。その証拠にグッドイヤー参戦期間中の名シーンなんて正直思いつかない。それを考えると、ブリヂストンの存在の大きさに改めて気づく。
最後にこれだけの名シーンを産んでくれたブリヂストンには心から厚い拍手を送りたい。
担当者の方々、良いレースをありがとう。
そして「お疲れ様でした」。
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