写真1
CANON 5Dmark2 100-4000mmUSMLIS3.5-5.6 SS1/500 F5 ISO100 焦点170mm EV+-0
2艘の間はかなり間があるのですが、この撮影方法は望遠レンズの圧縮効果を利用しています。2隻が密度を詰めて接近している様子です。
写真2
CANON 5Dmark2 100-4000mmUSMLIS3.5-5.6 SS1/320 F5 ISO100 焦点115mm EV+-0
日本丸。単純な名前・・と思わず、国の名前です。前にも書きましたが、この船は「練習船」です。この船で訓練をし海上自衛隊に入り日本の海を守るそんな大きな夢を乗せている船です。
写真3
CANON 5Dmark2 100-4000mmUSMLIS3.5-5.6 SS1/640 F5 ISO100 焦点100mm EV+-0
この角度からですと、マストロープの数が尋常ではありません。すごい密集度合いです。
写真4
CANON 5Dmark2 24-70mmUSML2.8 SS1/800 F5 ISO100 焦点24mm EV+-0
広角で全体を拾ってみましたが、いかんせん帆を張っていないので枯れ木のような雰囲気もあります。
ウィキより
海王丸(かいおうまる)は、日本の航海練習船で大型練習帆船。初代海王丸と、2代目の海王丸II世がある。初代海王丸は1930年(昭和5年)進水、約半世紀にわたり「海の貴婦人」として親しまれ、1984年(昭和59年)引退、海王丸II世がそのあとを引き継いだ。姉妹船として日本丸がある。日本丸と海王丸の誕生。海王丸(初代)1927年(昭和2年)3月、鹿児島県立商船水産学校の練習船「霧島丸」が宮城県金華山沖にて暴風雨のため沈没、乗組員および生徒の合計53名が全員死亡するという惨事が発生した。この事故が契機となり、1928年(昭和3年)大型練習帆船2隻の建造が決定された。2隻の建造費は合計182万円、当時の国家予算(軍事費および国債費を除いた一般会計予算:約8億7千万円)からすると破格の大型プロジェクトであった。設計はスコットランドのラメージ・エンド・ファーガッソン社、建造は神戸の川崎造船所艦船工場(現在の川崎造船神戸工場)が担当した。1930年(昭和5年)1月27日に進水した第1船は「日本丸」、同年2月14日に進水した第2船は「海王丸」と名付けられ、これら2隻は文部省の所管となった。海王丸はこの年の10月から12月にかけてミクロネシアのトラック島へ第一回遠洋航海を行っている。
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