2004年10月、中国の西安市内から日本人遣唐留学生の墓誌が発見された。
彼は「井真成」といい、年齢は19歳。
717年の第9回遣唐使で来唐したものと思われる。
この遣唐使団は557名という過去最大規模で4隻の船に分乗した。
後に玄宗皇帝の知遇を得た阿倍仲麻呂や
帰国後に活躍した吉備真備らも同期である。
井真成は阿倍仲麻呂らのように成功したわけではなく、
無名であり36歳という若さで急死した。
しかし、発見された彼の墓誌の内容が多くの人々の胸を打った。
「真成は日本人で、才能は生まれながらに優れていた。
それで命を受けて遠国へ派遣され、中国に馬を走らせ訪れた。
中国の礼儀教養を身につけ、中国の風俗に同化した。
彼は役人になり、正装して朝廷に立ったなら、
並ぶものはなかったに違いない。
よく勉強し、まだそれを成し遂げないのに、
誰が予想しただろう、思いがけず突然死ぬとは。
734年正月に彼は官舎で亡くなった。享年36歳。
皇帝(玄宗)はこれを傷み、栄誉を称え、詔勅によって官職を贈り、
葬儀は官で執り行わせた。その年2月に万年県の河の東の原に葬った。
ああ、夜明けに柩をのせた素木の車を引いてゆき、
葬列は赤いのぼりを立てて哀悼の意を表した。
真成は、遠い国にいることを嘆きながら、夕暮れに倒れ、
荒れはてた郊外に赴いて、墓で悲しんでいる。
その言葉にいうには、
死ぬことは天の常道だが、哀しいのは遠方であることだ。
身体はもう異国に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願っている。」
そしてついに彼の墓誌と魂は2005年日本に「帰国」したのである。