中尊寺シリーズも終盤になりましたが、今回は有名どころ3枚です
写真1は、一番有名な写真ですが、このように雪がやんでいると
雰囲気は伝わりません。写真2は本堂 写真3は弁慶の碑です。
中尊寺に関わる重要史料の1つに「中尊寺落慶供養願文」と称されるもの
がある[4]。これは藤原清衡が天治3年(1126年)3月24日付けで、鎮護国家
のために大伽藍一区を建立供養する趣旨と、その伽藍の概要とを記したも
のである。なお、願文の原本は伝わらず、現存するものは、延元元年
(1336年)頃北畠顕家筆と、嘉暦4年(1329年)藤原輔方筆の写本である。
かつての通説では、この願文が中尊寺一山の落慶供養を表すものと解釈さ
れていた。しかし、この願文の本文中には「中尊寺」という寺号が使われ
ていないこと、願文中に列挙されている「三間四面檜皮葺堂」などの建物
跡が現在の中尊寺境内に見当たらないこと、願文中に出てくる建物、橋、
池などはむしろ同じ平泉にある毛越寺の旧伽藍とよく一致することなど
から、この願文は毛越寺の建立供養に関わるものとする説が中川成夫に
よって提唱され、複数の研究者によって支持されている[5]。また、この
文書は天治3年3月24日付けであるが、天治3年は1月22日に改元して大治
となっていることから、この願文は改元以前に作られた案文であると
推定されている。
写真1
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写真2
canon5Dmark2 24-105mmF4IS-L ISO160 F10 1/30 EV+-0
写真3
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