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お城シリーズ(その1)

◇評価 10ポイント
◇閲覧回数 6,881
◇登録日
2010年6月4日

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新しいシリーズの始まりですが、華やかであったイルミネーションとはちょっと赴き
がことなり、じみ〜な感じもある日本の城シリーズです。
とはいけ、数あるお城の中でも私が行った事のあるものだけですので、数は知れています
が紹介していこうかなと思っております。今は歴史が好きな歴女と呼ばれる方をはじめ
龍馬伝の人気もあり、歴史というジャンルが活性化しているのかなと思います。

手始めに、今回は岡崎城の紹介です。ただ、このシリーズ冒頭に説明しておきますが
私はお城のことは良くわかりませんので、城についての説明は「ウィキペディア」の説明文
を引用させていただきますので、ご了承下さい。

<岡崎城の解説>

菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用して造られている。
元は、龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼
(つぎより、つぐより、又は、ちかより)、そして、その子頼嗣(よりつぐ)が
北方に対する防御として築城したものである。当時は、龍燈山城(りゅうとうざんじょう
)と呼んだ。それを、松平清康が西郷信貞(松平昌安)から奪い取り改修拡張整備したものが
岡崎城である。

龍頭山はもともと小高い丘で、山頂に本丸が置かれた平山城として築かれていたが、
本多康重から3代忠利(1600年(慶長5年) - 1645年(正保2年))にわたる改修に
よって平城となっている[1]。この際、本丸に複合連結式望楼型3重3階の天守(
1617年(元和3年))が建てられた。

本丸の北方に持仏堂曲輪、その北方下に二の丸、その北方に北曲輪、二の丸の東側には
三ノ丸と東曲輪、その東に備前曲輪と大手門があった浄瑠璃曲輪、本丸と二の丸の西方
下に坂谷曲輪、その西に白山曲輪と搦手口に当たる稗田門があった稗田曲輪、本丸の南
は、菅生川沿いに菅生曲輪があり、それに、本丸から北側へ6重、西側へ4重の外堀を廻らせていた。

存城当時の東海地方の城では3番目に数えられる規模であったが、1873年(明治6年)
の廃城令によって廃城となり城内の天守以下の建物及び土地を払い下げ、現在は一切
の建物を失い、本丸と周辺の持仏堂曲輪、隠居曲輪、風呂谷等の曲輪と石垣、堀など
の遺構を残すのみで、敷地は龍城神社、岡崎公園として整備され、天守などが復興され、
市民の憩いの場になっている。

ここまでウィキペディア抜粋

写真1
意外とこのお城は、ビューポイントがありません。どこからアプローチしても、何らかの
障害物に当たります。まあ、定番のポイントからの撮影です。
少々あおりぎみにして、高さを演出しています。
canon 5Dmark2 24mm-105mmIS F4 L 1/200秒 F10 24mm焦点 ISO100 EV+-0



写真2
ここも一応ビューポイントなのですが、桜が咲いていないのでなんとも、「ごちゃ」
とした写真になっていますね。
canon 5Dmark2 24mm-105mmIS F4 L 1/200秒 F7 55mm焦点 ISO100 EV+-0



写真3
よくわかりませんが、「亀」です。柱が甲羅にぶっささっています。
みょ〜にリアルな質感が出てしまい、こんなところでこんな解像度はいらんなあ・・
って思ってしまいました。
canon 5Dmark2 24mm-105mmIS F4 L 1/125秒 F5.7 55mm焦点 ISO100 EV+-0


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