2010年 ワールドカップ南アフリカ大会 日本×パラグアイ
劇的なPK戦を制すことができず チーム全体が肩を落としていたあの時
全日本国民が下を向いたあの瞬間
PKを外し 涙を流す駒野に両脇で支える松井と阿部
そして声をかけるパラグアイの選手がいました
おそらく駒野にパラグアイの選手がかけた言葉は通じていないはずです
何故なら今の今まで この言葉が何か報じられたことがないから
あんな状態で勝者から敗者にかけられた言葉が何だったのか それが分かれば
話題になっているはずなんです
声をかけたのはパラグアイのネルソン・アエド・バルデスという選手で
今シーズン リーガ・エスパニョーラのエルクレスCFに移籍しました
するとワールドカップ後にこのチームに取材へ行き バルデスに真相を聞いてきた記事を
発見しましたので 紹介したいと思います! では早速どうぞ!
(Q、ワールドカップで対戦した日本の印象)
パラグアイに似ていると感じた。
ワールドクラスのチームらしいハートで戦っていた。一生懸命努力してね。
パラグアイ風に言うとユニフォームに身を捧げていたと思う。
(Q、試合はどうでした?)
心臓に悪い大変な試合だったよ。
両チームがお互いを警戒しあっていたから難しかった。
どちらもリスクを冒そうとせず、結局PK戦になった。
どんなPK戦もそうだと思うけど最後まで苦しんだね
(Q、PK戦が終わった後で駒野選手にどんな言葉を掛けたんですか?)
自分も選手だから他の選手の気持ちがわかるんだ。
ワールドカップでPKを外したとなると、自分のせいで負けたと思ってしまう。
だから彼のところへ行って「頭を上げよう。君のせいじゃない」って言ったんだ。
それから幸運を祈って「気落ちするな」ってね。
多分彼は僕が何て言ったかまではわかってなかったと思うよ。
でも、言葉はわからなかったかもしれないけど、
何が言いたかったかは通じたと思う。
あの時の写真は大会ベストショットの1枚に選ばれたんだよ。
(Q、スタジアムで暮らしていたことがあるって本当ですか?)
ああ、スタジアムの下、スタンドの下で1年半暮らした。
僕のキャリアの中で一番キツい時期だった。
15歳の時に田舎から首都アスンシオンに出てね。
アスンシオンの方がいいからって言われて行ったのに、
あてがわれたのはスタンドの下だった。
寝るためのマットが1枚あっただけで
雨が降ったら外より中にいる方が濡れたんだ。
両親には心配をかけたくなかったから
「うまく行ってるよ」って言ってたんだけど、
本当は正反対で大変な思いをしていたんだ。
でも、そんな経験をすると現状へ感謝するようになる。
今の僕は努力の甲斐があってここにいられるんだ。
15、6歳の大変な時期だったけど
いつかここから抜け出せるって信じてた。
僕は来年の6月にパラグアイで子供たちのための財団を設立する。
スポーツを通じて人生では全てが可能なんだってわかってもらうためにね。
ドラッグやアルコールや窃盗に繋がる楽な道を選んでもらいたくないんだ。
“厳しい道を進んで努力をすれば最後は必ず成功する”。
それこそ僕がずっと抱いてきた信念であり、
そのおかげで今、僕はここにいるんだよ。
(Q、駒野選手にメッセージを)
コマノ、あの時はわからなかったかもしれないけど
今回は訳してもらえるだろう(笑)
僕が言いたかったのはPKの失敗で気を落とすなってことなんだ。
そんなことは誰にでも起こり得ることなんだから。
今は何もかもうまく行ってるはずだと祈ってるよ。
思い出して泣けてきました それにバルデスは良いヤツですね バルデスの活躍も祈っています
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記事元Soccer Journal(サッカージャーナル)