大正から昭和初期にかけて、
加藤文太郎という とてつもない登山家が活躍していました。
※右の写真は左側が加藤文太郎
18歳の頃から登山をはじめた加藤は、
歩くスピートがとんでもなく速く、神戸の六甲山を早朝から歩き通して縦走し、
その日のうちにスタート地点まで再び徒歩で帰るという
全長100kmにもおよぶルートを走破しています。
当時、登山は、パーティを組んでの団体行動と、高額な装備、
ガイドを雇うための多額な費用を必要とする高級スポーツとされていましたが、
加藤は、ありあわせの衣服と地下足袋を纏い、しかも単独という
山岳会の常識を覆す異色の存在でした。
23歳頃から単独行によって日本アルプスの数々に積雪期登頂を果たし、
槍ヶ岳冬季単独、富山から長野への北アルプス単独縦走によって、
「単独登擧の加藤」、「不死身の加藤」として一気に有名になりました。
しかし、30歳で迎えた厳冬期の槍ヶ岳北鎌尾根の天上沢にて、
猛吹雪に合って遭難し、帰らぬ人となりました。
この時、加藤は単独ではありませんでした。
当時の新聞は、加藤の死を「国宝的山の猛者、槍ヶ岳で遭難」と報じたといいます。
※加藤文太郎の遭難と訃報を報じる当時の新聞記事
それにしても、当時の登山装備は、
今のように高度な技術や科学的に開発された素材を使用してはいません。
よくぞ単独でやってのけたものだと思います。すごい人です。
※加藤文太郎の登山靴と遺品
ちなみに、加藤文太郎の生涯は、
新田次郎著「孤高の人」として小説化されています。
多少フィクションが入っていますが、事実を元にしており読み応え十分です。
マンガの「孤高の人」は、この新田次郎の小説を元に描かれています。
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