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京都 安倍晴明ツアー1

◇評価 20ポイント
◇閲覧回数 5,940
◇登録日
2011年2月8日

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今回から始まります「安倍晴明」の謎を解くというちょっとミステリアス
なシリーズです。しかもこのツアーには「山口敏太郎先生」と同行できる
スペシャルな特典が付いたものでした。

行く先々で、山口先生が安倍晴明について詳しく解説をしていただいたり
普段のツアーでは足を運ばないマニアックな場所に足を運んだりと
非常に魅力的なツアーでした。

また、天気にも恵まれ(とにかく酷暑・猛暑で死にそうでした)写真の色合
いも映える物が多く、魅力的な写真も数多く撮影することができました。

では、最初の集合場所のJR嵯峨野駅からスタートです。


以下ウィキより

安倍晴明経歴

 921年(延喜21年)に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされる。
また、生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある。幼少の頃について
は確かな記録がないが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝
授されたという。
 948年(天暦2年)大舎人。960年(天徳4年)当時天文得業生(陰陽寮に所属し天
文博士から天文道を学ぶ学生の職)であった晴明は村上天皇に占いを命ぜられて
おり、出世は遅れていたが占いの才能は既に貴族社会で認められていたことが伺
える。その後、天文博士に任ぜられる。
 979年(天元2年)、59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で
那智山の天狗を封ずる儀式を行う。 このころから花山天皇の信頼を受けるように
なったらしく、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られ
るようになる。花山天皇の退位後は、一条天皇や藤原道長の信頼を集めるように
なったことが、道長の日記『御堂関白記』などの当時の貴族の日記から覗える。
 陰陽師として名声を極めた晴明は、天文道で培った計算能力をかわれて主計寮に
異動し主計権助を務めた[5]。その後、左京権大夫、穀倉院別当、播磨守などの
官職を歴任し、位階は従四位下に昇った。さらに晴明の2人の息子安倍吉昌と安
倍吉平が天文博士や陰陽助に任ぜられるなど、安倍氏は晴明一代の間に師である
忠行の賀茂氏と並ぶ陰陽道の家としての地位を確立した。


写真1
canon 5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/250 F7 ISO100 EV+-0
JR嵯峨野駅で記念撮影。写真右が山口敏太郎先生。どんなツアーに
なるのか楽しみです。この時点で気温は35度を越えていました。



写真2
canon 5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/250 F6.3 ISO100 EV+-0

嵯峨野駅に隣接している、トロッコ博物館



写真3
canon 5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/160 F5.6 ISO100 EV+-0

SLが展示してあります。正面から迫力ある感じ。


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