エーゲ海とうぶに浮かぶロードス島。
紀元前4世紀頃、この島は地中海貿易の中継地として、繁栄を極めていた。
ところが、紀元前305年、4万ものマケドニア軍が突如侵攻してきた。
苦境に陥ったロードスだったが、エジプトのプトレマイオス1世が援軍を派遣し、
マケドニア軍の撃退に成功。ロードスの人々は、
プトレマイオス1世への感謝と勝利を記念して、
マンドキラ港に島の守護神である太陽神ヘリオスの巨像を造る事にしたのである。
制作開始は紀元前302年。12年の歳月を費やし完成したという。
台座は白い大理石で造られ、その上に外港を威圧するかのように建てられた像の高さは33m。
台座と合わせると48mに達する。
現在アメリカのニューヨークに建つ自由の女神像の高さは46.3mであるから、
古代世界でなくとも、途方もない大きさの像だった。
残念ながら、資料が乏しく、その実態は謎のままだ。
像の形態にしても、両足を開いて港の入り口をまたぐようにして立っていたとする説や
足をそろえていたとする説など諸説ある。
ただし、現在のマンドキラ港の入り口の幅は約40m。
当時も同程度の幅だったとすれば港をまたいでいた場合、
巨像は前述の高さより巨大でなければならないため、
足をそろえていたとする説が有力だ。
巨像の内部には螺旋階段が設けられ、両目の内側にある燭台が夜を徹して赤々と燃えていた。
両手には煮えたぎる油を満たした器を持っていて、
港に進入する敵船に上から注ぎ落とす工夫がなされていたという。
制作方法も謎だ。
鋳造説が有力だが、鉄の補強材で組み立てて石材で安定させ、
その表面に青銅板を貼付けたなどの説もある。
残念ながらこの巨像は、紀元前224年、地震によって倒壊した後、
900年近くも倒れたまま放置されたが、672年にアラブ軍がロードス島を占領。
残骸をスクラップにして売り飛ばしてしまい、跡形もなく地上から姿を消した。
しかし、1987年7月初頭、ロードス島の沖合700m、深さ52mの海底で、
石灰岩の彫刻物が発見された。
それは縦160cm、横160cm、厚さ85cm、重さ1tという巨大なもので、
左手で拳を握ったような形をしている。
この彫刻物が、幻の巨像の拳であるかはどうかは結論がでていない。
超古代文明の謎を解明せよ!
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