写真1
CANON 5Dmark2 70-200mmUSML2.8 SS1/200 F4.5 ISO1600 焦点175mm EV+-0
金閣寺を回り込むとまだまだ出口までかなりの距離があります。ちょっと薄暗い感じの遊歩道になっていますので、一つ一つ見て行きましょう。
写真2
CANON 5Dmark2 70-200mmUSML2.8 SS1/80 F4.5 ISO1600 焦点70mm EV-0.7
小さな滝です。次の写真の左側の滝になります。
写真3
CANON 5Dmark2 70-200mmUSML2.8 SS1/100 F4.5 ISO500 焦点110mm EV-0.7
写真2と写真4の案内板
写真4
CANON 5Dmark2 70-200mmUSML2.8 SS1/20 F2.8 ISO320 焦点115mm EV-0.7
SSを調整しちょうどいい感じなくらいに表現してみました。
手持ちですとこれくらいであれば安全パイのSS速度です。
ウィキより
この義満の北山山荘は当時「北山殿」、または「北山第」と呼ばれた。邸宅とは言え、その規模は御所に匹敵し、政治中枢の全てが集約された。1394年(応永元年)、義満は征夷大将軍を子の義持に譲っていたが、実権は手放さず、北山殿にあって政務を行っていた。義満が死亡すると義持は北山殿に住んでいた異母弟義嗣を移転させ、自らここに入った。翌年には一部を破却して三条坊門第に入った。その後義満の妻である北山院日野康子の御所となっていたが、応永26年(1419年)11月に北山院が死亡すると、舎利殿以外の寝殿等は解体され、南禅寺や建仁寺に寄贈された。また、応永23年(1416年)1月に義満が相国寺から移築した大塔が焼失すると、義持は大塔を本来の所在地である相国寺に再建するように命じている[3]。舎利殿は義満の遺言により禅寺とされ、義満の院号「鹿苑院」から鹿苑寺と名付けられた。夢窓疎石を勧請開山(名目上の開山)としている。
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