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日帰り京都編2

◇評価 0ポイント
◇閲覧回数 5,936
◇登録日
2013年3月27日

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写真1
CANON 5Dmark2 70-200mmUSML2.8 SS1/400 F2.8 ISO100 焦点200mm EV-1

望遠200ミリで圧縮。背景も綺麗にボケました。重厚感を極限まで表現するために、緑が多少潰れるのを覚悟してマイナス1補正をかけてあります。


写真2
CANON 5Dmark2 24-70mmUSML2.8 SS1/2000 F2.8 ISO100 焦点70mm EV-1

大した広さはありませんが、70ミリで表現。敢えて回りに何も入れないようにすることで、強調してみました。ここもマイナス1補正で撮影してみました。


写真3
CANON 5Dmark2 70-200mmUSML2.8 SS1/160 F6.3 ISO125 焦点150mm EV+-0

どういうもので、どういう意図で作ってあるのかはわかりませんが、日本の美みたいなものを感じます。本当に中まで砂なのでしょうか?


写真4
CANON 5Dmark2 24-70mmUSML2.8 SS1/200 F6.3 ISO320 焦点180mm EV+-0

写真3と同じ場所での撮影ですが、縦横だけを変えてみました。横にしたほうが被写体を強調できますよね。重心も低めで被写体の特徴が良く出てきています。


ウィキより
当時は応仁の乱が終了した直後であり京都の経済は疲弊していたが、義政は庶民に段銭(臨時の税)や夫役(ぶやく、労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていた。造営工事は義政の死の直前まで8年にわたって続けられたが、義政自身は山荘の完成を待たず、工事開始の翌年である1483年(文明15年)にはここに移り住んでいた。東山殿には会所、常御所(つねのごしょ)などの大規模な建物が建ち、足利義満の北山殿(後の鹿苑寺)ほどではないが、ある程度政治的機能ももっていた。ただし、現存する当時の建物は銀閣と東求堂(とうぐどう)のみである。1490年(延徳2年)2月、同年に死去した義政の菩提を弔うため東山殿を寺に改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺である。戦国時代末期には前関白近衛前久の別荘にもなったが、これは慈照寺の歴代住持に近衛家出身者が多かったことによる。前久の死後は再び相国寺の末寺として再興された。1952年3月29日には庭園が 特別史跡および特別名勝に指定された。1994年12月17日には「古都京都の文化財」として 世界遺産に登録されている。

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