全盛期を過ぎてからのJリーグ発足でしたが
あの魔法のようなフリーキックでJリーグ初年度またJSLを盛り上げてくれました
県立広島工業高校→明治大学政経学部→日本リーグ(JSL)日産自動車サッカー部(後の横浜F・マリノス)
元々はウインガーでしたが、同じ右ウイングが専門の水沼貴史の入団を
きっかけに、加茂周監督によって攻撃的ミッドフィルダーにコンバート
以降、司令塔としてチームを率い、日産黄金時代を築く原動力となりました
水沼やラモス瑠偉(読売クラブ{後のヴェルディ川崎})らと共に
日本サッカー冬の時代を支えた選手の一人で、
「日産の背番号10と言えば木村和司」とまで言わしめたほどの存在です
1983年、1984年、2年連続日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)受賞
さらに1989年も同賞受賞 3度の受賞は釜本邦茂7度に次ぐ史上2位
1984年アシスト王(アシスト数12はJSL記録)
1985年当時のプロサッカー選手登録制度
『スペシャル・ライセンス・プレーヤー』の第1号選手となりました
Jリーグ以前の国内プロサッカー選手の第一号です
国際Aマッチ54試合出場 26得点
ワールドカップメキシコ大会最終予選のホーム韓国戦
伝説のフリーキック!!!!!! ↓