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大阪城6

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2011年5月7日

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城中には黄金のトラと竜が・・
金ぴかや〜〜。

■大阪城の勉強 (以下ウィキより)
江戸時代 、『大坂御城御本丸并御殿繪圖』(江戸時代前期)1603年(慶長8年)に徳川幕府が成立した後も、秀頼は大坂城に留まり摂津・河内・和泉を支配していたが、1614年(慶長19年)の大坂冬の陣で家康によって構成された大軍に攻められ、篭城戦を行った。そして、その講和に際して惣構・三の丸・二の丸の破却が取り決められ、大坂城は内堀と本丸のみを残す裸城にされてしまう。秀頼は堀の再建を試みたために講和条件破棄とみなされ、冬の陣から4か月後の1615年(慶長20年)、大坂夏の陣で大坂城は落城し、豊臣氏は滅亡した。

落城に際して、灰燼に帰した大坂城は初め家康の外孫松平忠明に与えられたが、1619年(元和5年)に幕府直轄領(天領)に編入された。翌1620年(元和5年)から、2代将軍徳川秀忠によって大坂城の再建が始められ、3期にわたる工事を経て1629年(寛永6年)に完成した。

幕末期の大坂城の櫓幕府直轄の城である徳川大坂城の城主は徳川将軍家の歴代将軍自身であり、譜代大名から選ばれる大坂城代が預かり、これも譜代大名からなる2名の大坂定番と4名の大坂加番が警備を担当した。江戸時代にはたびたび火災による損傷と修復を繰り返した。特に1665年(寛文5年)には落雷によって天守を焼失し、以後は天守を持たない城であった。

江戸末期、慶応3年12月9日(1868年1月3日)に発せられた王政復古の大号令の後、二条城から追われた前将軍徳川慶喜が大坂城に移り、居城していたが、慶応4年1月3日(1868年1月27日)、旧幕府軍の鳥羽・伏見の戦いでの敗北によって慶喜は船で江戸へ退却し、大坂城は新政府軍に開け渡された。この前後の混乱のうちに出火し、城内の建造物のほとんどが焼失した。


写真1
canon 5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/50 F2.8 ISO320 EV+0

質感重視の撮影方法


写真2
canon 5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/30 F2.8 ISO100 EV+0

金ぴか・・


写真3
canon 5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/50 F2.8 ISO320 EV+0

竜の顔面アップ


写真4
canon 5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/25 F2.8 ISO250 EV+0

大きさを最大限に表現してみました

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