中日の守護神が金字塔を打ち立てた。
5月12日のヤクルト戦で岩瀬仁紀投手が9回をしっかりと抑え、
プロ野球史上4人目の通算200セーブを達成した。
クローザー・岩瀬の歴史は、落合政権とともに始まった。
だが、2004の開幕直前に左足中指を骨折し、竜の新守護神は嵐の船出となった。
5月末で早くも3敗。防御率は5.48まで跳ね上がった。
2軍再調整の可能性を問う報道陣に、落合監督は頑として首を振らなかった。
「あのころのオレはぼろかすに言われたよな。『岩瀬をつぶす気か』って。
でも、打たれたから再調整って選手と、絶対に乗り越えてもらわなきゃ困る選手がいる。
岩瀬は後者。だから1日もファームにはいってないだろ?
信頼というのとはまた少し違うんだけど、それだけのポジションにいる選手ってことだ」
チームの骨格となる選手は、どんなに状態が悪くても使い続ける。
当時も今も、落合監督の軸にぶれはない。
就任して6年目。岩瀬は2度の五輪を除けば、1度も出場選手登録を外れていない。
能力があるからこそ、故障と無縁の強さを指揮官は求める。再調整も故障離脱もないのは、岩瀬と立浪だけだ。
今年で35歳。球威が落ちてきたという声もあるが、メジャーリーグにいけば
同世代こそがクローザーの旬として活躍している。
酒は1滴も飲めず、トレーニングを欠かさない節制の塊が、
ピークを過ぎたとは思わない。250で名球会、287で日本新。
「1つ、1つの積み重ねなんで…。できるだけ頑張ります」
特別に用意された試合後のヒーローインタビューでさえ“岩瀬節”を崩さず。
そんな鉄腕に残した200の足跡から、1個だけ選べという無理を聞くと
「やっぱり、46個目ですかね…」。
2005年10月1日(広島戦、ナゴヤドーム)。
シーズンセーブの日本記録を更新した試合だ。
実に控えめではあったが、岩瀬仁紀が唯一、チームの勝利ではなく自分自身のためにガッツポーズをした試合である。
〈2009年5月13日中日スポーツ参照〉
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