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山陰山陽シリーズ 金子みすずの里3

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◇閲覧回数 4,356
◇登録日
2012年10月31日

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写真1
CANON 5Dnark2 24-70mmF2.8USML SS1/40 F2.8 ISO2000 50mm EV+-0

金子みすずの生家です。当時の雰囲気をかもしだすためにモノクロ撮影にしてみました。実際に足を運んでみると、当時の雰囲気の息吹が伝わってくるようでした。


写真2
CANON 5Dnark2 24-70mmF2.8USML SS1/40 F2.8 ISO160 24mm EV+-0

カラー全盛の世の中ですが、モノクロにはモノクロの味わいがありますよね。なんか妙に雰囲気がでていますよね。


写真3
CANON 5Dnark2 24-70mmF2.8USML SS1/20 F2.8 ISO500 24mm EV+-0

本棚に並んだ一冊一冊が当時の時代の語り部になっていくのです。こうした文化や文化財は本当に大切に後世に伝えていかなくてはいけないと思います。


写真4
CANON 5Dnark2 24-70mmF2.8USML SS1/25 F2.8 ISO400 24mm EV+-0

記念館の出口の場所に、多きな写真があるのですが・・実はこれは


写真5
CANON 5Dnark2 24-70mmF2.8USML SS1/60 F2.8 ISO1250 70mm EV+-0

すべての写真が人の顔なんですね、ギネス認定の力作です。多くの人に愛されていたという表現なんでしょうね。


ウィキペディアより
1926年(大正15年)、叔父松蔵の経営する上山文英堂の番頭格の男性・宮本啓喜と結婚し、娘を1人もうける。しかし、夫は正祐との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に正式な離婚が決まった(手続き上は成立していない)。みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。夫への抵抗心から同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自
殺、26年の短い生涯を閉じた。

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