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北海道大周遊編6

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2012年3月5日

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今回も大倉山シャンテからの紹介ですが、いよいよ滑走開始地点からの写真です。選手の目線にカメラを合わせてみました。殆ど絶壁です。その昔、囚人の刑罰として行われたというのもうなずけます。

写真5
canon5Dmark2 35-350mmLUSM ISO100 SS1/120 F7  焦点距離35mm

座った目線です。身長差はありますが、だいたいこのような目線で滑走開始となります。


写真6
canon5Dmark2 35-350mmLUSM ISO100 SS1/125 F7  焦点距離35mm

選手が立ったときの目線です。札幌市内にむけて飛び立つといった感じになります。普通の人間であれば絶対に踏み切ることが出来ない高さだと思います。


写真7
canon5Dmark2 35-350mmLUSM ISO400 SS1/100 F6.3  焦点距離35mm

実際に選手が表彰される表彰台も開放されています。こうしてみるとなだらかなジャンプ台にも見えますが、上からの目線とは大きく異なるのがわかります。


今回35mmが最大の広角になっていますので、いまいち迫力が足りません。広角レンズがあればもっと広がりのある写真が撮影できたのかな?と思います。

以下ウィキより抜粋
1931年に昭和天皇の弟宮である秩父宮雍仁親王の口添えで大倉喜七郎男爵により私財を投じて建設され、完成後札幌市に寄贈された。

1932年の開場式の際、橋本正治札幌市長により、大倉の功績をたたえ「大倉シャンツェ」と名づけられたのが名前の由来である(「シャンツェ」とは、ドイツ語でジャンプ台の意味)。

なお、設計にはサンモリッツオリンピックノルウェーチーム監督で、シャンツェ設計の権威でもあったオラフ・ヘルセット中尉が任っている(ヘルセットの招聘も秩父宮の口添えの下であった)。

2回のオリンピック [編集]1940年に東京オリンピックとともに開催される予定であった札幌オリンピックにおいては、ジャンプの会場として使用される予定であったが、日中戦争の激化を受けて開催権を日本政府が返上したために、使用されずに終わった。

1953年に80m級へ改修、向かって右側に60m級の雪印シャンツェが増設された。

その後1966年に、1972年の札幌オリンピック開催が決定したことから、1970年から国費等約7億5000万円を投入し、札幌オリンピックに向け大改修が行われた。この際にK点110m、5万人の観客を収容可能な国立競技場となり、人名が由来であった競技場の名前に「山」の文字が書き足され、「大倉山ジャンプ競技場」という名前になった。

1972年には、札幌オリンピックの90m級ジャンプの会場として使用された。

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