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東京大周遊15 =浅草寺=

◇評価 10ポイント
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◇登録日
2011年8月30日

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浅草浅草寺3回目になります。いよいよ仲見世を抜けて、本堂へ。立派な構えで「どーん」と構えています。しかし、おびただしい観光客。色々な国の人種がシャッフル。撮影禁止と書いてあっても、外国の方々は読めません(読めないふり)ノーフォトとも書いてあってもお構いなし。じゃあ、私も外国人ということで・・(3枚目撮影)

■浅草寺とは(ウィキより)
浅草寺の文献上の初見は鎌倉時代の『吾妻鏡』である。同書によれば、治承5年(1181年)、鎌倉の鶴岡八幡宮造営に際し、浅草から宮大工を呼び寄せている。また、建久3年(1192年)、鎌倉の勝長寿院で後白河法皇の四十九日法要が営まれた際、浅草寺の僧が参加している。後深草院二条の『とはずがたり』には、彼女が正応3年(1290年)浅草寺に参詣した時の様子が描写されている。

天正18年(1590年)、江戸に入府した徳川家康は浅草寺を祈願所と定め、寺領五百石を与えた。浅草寺の伽藍は中世以前にもたびたび焼失し、近世に入ってからは寛永8年(1631年)、同19年(1642年)に相次いで焼失したが、3代将軍徳川家光の援助により、慶安元年(1648年)に五重塔、同2年(1649年)に本堂が再建された。このように徳川将軍家に重んじられた浅草寺は観音霊場として多くの参詣者を集めた。

貞享2年(1685年)には、表参道に「仲見世」の前身である商店が設けられた。これは、寺が近隣住民に境内の清掃を役務として課す見返りに開業を許可したものである。江戸時代中期になると、境内西側奥の通称「奥山」と呼ばれる区域では大道芸などが行われるようになり、境内は庶民の娯楽の場となった。天保13年(1842年)から翌年にかけて、江戸三座の芝居小屋が浅草聖天町(猿若町、現・台東区浅草六丁目)に移転し、そうした傾向はさらに強まった。

写真33
canon EOS5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/160 F6.3 ISO100 EV+0

色使いはちょっと台湾風をイメージさせます・・。


写真34
canon EOS5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/200 F5.6 ISO100 EV+0

真正面から、セオリーどおりの写真。俗にいう「絵葉書写真」


写真35
canon EOS5Dmark2 24-70mmF2.8LUSM 1/160 F6.4 ISO100 EV+0

私は日本人ではありません・・・って顔して盗撮気味・・。ごめんなさい・・今になって謝罪。

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