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北海道大周遊編64

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2012年6月5日

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札幌時計台2

写真4
canon5Dmark2 35-350mmLUSM ISO800 SS1/40 F3.5  焦点距離35mm

札幌時計台は中に入ることができます。


写真5
canon5Dmark2 35-350mmLUSM ISO400 SS/40 F3.5  焦点距離35mm

動力部分です。


写真6
canon5Dmark2 35-350mmLUSM ISO100 SS1/200 F7  焦点距離90mm

きゅっと寄せてみると重量感が増します。


以下ウィキ
1878年10月16日 - 演武場(武芸練習場・屋内体育館)として建設された。場所は札幌農学校敷地内で現在の位置より若干北に位置していた。
1881年 - 鐘楼に時計が設置された。
1898年 - 有島武郎の『星座』に大時計の鐘の音が描かれた。
1903年 - 札幌農学校が現在の北海道大学所在地に移転した。
1906年 - 札幌区により買取され、現在の場所に移設された。
1911年 - 図書館として開放された(〜1966年)。
1922年 - 高階哲夫が『時計台の鐘』を作詞作曲した。
1926年 - 所有が札幌市に移転した。
1970年 - 国の重要文化財に指定された。
1995年 - 大規模な修復工事が行われた。
2009年8月 - 機械遺産32番に認定。

建設当初は大時計を設置せず、鐘楼に工部省東京工場製の鐘が吊るされていた。綱を引いて鐘を鳴らす仕組みだったが、時報の正確性に欠くことや振動により実験に支障をきたすことから1881年6月に塔部分を新築し、ハワード製の時打重錘振子式四面時計(製造番号738)が設置された。これは重りの力を利用した振り子式で、4日に一度は運用針と打鐘用の二つの重りを吊るしたワイヤーをハンドルを使い人力で巻き上げねばならないが、重さはそれぞれ50?と150?にもなる上、機械に負担が掛からぬよう2時間ほど掛けてゆっくりと巻き上げる必要がありかなりの労力を要する。 今でこそ大切に管理されているが、かつては時計台の価値が十分に理解されず故障しても放置されていた時代があった。1933年時計台の100m北で時計店を営んでいた井上清は、長期間止まったままになっている時計のことが気になり市に修理を申し出たが、予算不足を理由に断られたためボランテイアで保守整備を行うことを決意し作業を始めた。一ヶ月の時間を要し、錆びを取り部品を丁寧に分解修理し時計の機能を回復させた。 井上はほぼ毎日時計台に通い永年に渡り重りの巻上げを含む時計の保守管理を続けたが、1982年に息子の和雄(1947年から父の時計店で働いていた)が市の非常勤職員に採用され、清の仕事を引き継いだ。2009年からは井上和雄の指導を受けた札幌市友会の専任職員が保守管理を行っている。

観光名所としての時計台 現在は高層ビル群に囲まれている。時計台の向かいのビルの2階がテラスとなっており、時計台を正面より撮影できる。

鐘の音も高層ビルに阻まれて、現在は時計台周辺でしか聞こえないが、市内の小学校などでは、時刻によって録音された鐘の音を鳴らしている。またSTVラジオでは、平日の午前6時から8時と夕方4時に、正時の時報音に代わって、札幌時計台の鐘の音を生中継で放送している。

非公式キャラクターとして時計大臣というのがあり、これはさっぽろテレビ塔の非公式キャラクター「テレビ父さん」の仲間に当たる。周囲をビルに囲まれており、その景観から沖縄県の守礼門、高知県の播磨屋橋と並び日本三大がっかりと称されることもある。
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