我が家のリビングの、少し小高い棚の上。そこには、つげの木でできた小さなお地蔵様が、いつでも変わらぬ優しい笑みを浮かべて座っていらっしゃる。ふと目を上げれば必ず視界の隅にそのお姿があり、それはもう、我が家の風景として、空気のように自然に溶け込んでいる。
手に取ってじっくりと眺めると、
お地蔵様 木彫り職人さんの丹精込めた仕事ぶりが伝わってくる。優しくも力強いノミの跡は、木の温もりと人の温もりが混ざり合った、生命の鼓動そのもののように感じられる。お地蔵様のふくよかな頬、細められた優しい目、そして大きくてあたたかいお耳。それらすべてが、つげの木の持つ頑丈さと柔らかさという一見相反する性質を見事に調和させ、見る者の心を不思議と和ませてくれるのだ。
このお地蔵様が家に来てから、いくつの季節が巡っただろう。初めは淡いクリーム色だった木肌は、少しずつ、確実に深みを増し、今では琥珀のような深い飴色へと変化してきている。それは、朝日がさんさんと降り注ぐ窓辺の光を浴びた時間の積み重ねであり、そして何より、家族の笑い声や会話、時には喧嘩のようなざわめきまでも、すべてを静かに見守り、包み込み、木の中に染み込ませてきた証のような気がしてならない。
木彫り置物
お地蔵様は、何もおっしゃらない。ただ、じっとそこにいらっしゃる。それでいて、疲れて帰宅した時、何かに悩み部屋の空気が重くなった時、ふとその存在に気づくと、なぜだかほっと肩の力が抜ける。それはきっと、かつて道端に立てられ旅人を見守ったように、
木製の櫛今はこの家という小さな宇宙で、私たちのごく普通の日々を静かに守っていてくださるからに違いない。
インテリアとして購入したはずのこの小さな置物は、いつの間にか、家族の心のよりどころとなり、家そのものに宿る優しさのような存在へと昇華していた。それは、信仰というほど堅苦しいものではなく、もっと気軽で、あたたかい、日常に潜む「小さな祈り」のかたち。つげ木彫りのお地蔵様は、空間を飾るだけでなく、そこに住まう人々の心の中に、そっと寄り添い、根を下ろしていくのだろう。
コメントはまだありません。