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ヨーロッパ旅行道場

ロシアとのつながりをつくった大黒屋光太夫(2)

Seaview
2008年12月2日

閲覧数:11273回

三重県鈴鹿市と言えば、F1グランプリの復活開催に沸く
鈴鹿サーキットが世界的に有名で、ヨーロッパ人の知名度は抜群です。
しかし、この鈴鹿市は古くから意外なヨーロッパとの接点を持っていました。

それは、地元出身の大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)が、
鈴鹿市の白子港(しろここう:現在の近鉄白子駅近く)から
江戸へ荷物を船で運ぶところを、遠州灘で嵐に遭遇して漂流し、
アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着したという史実に基づいています。
今から220年以上も前の、江戸時代の出来事です。

アリューシャン列島はロシアの支配下にありました。
このため、ロシア語でのコミュニケーションがなかなかとれなかった
光太夫は苦心してロシア語を覚えました。
日本人ということでロシアで大事にされた光太夫は、
カムチャツカ半島からロシア本土に入り、
イルクーツクで日本語教師になることを求められました。

しかし、帰国したかった光太夫は国王の許しを得るために
シベリアを横断して、当時の首都であるサンクトペテルブルクへ行き、
時の皇帝・エカテリーナ2世との謁見を果たしました。
その後帰国許可を得て、イルクーツクまで戻った後、
オホーツクから船で根室へ向かい、日本へ戻ったという、
当時としては非常にスケールの大きな交流を果たしたのです。
その結果、遭難から帰国までは10年もかかりました。

遭難という偶然のきっかけが、
光太夫を史上初めてロシアを訪問した日本人にしたのです。
帰国後は、江戸幕府の時の将軍・徳川家斉に
ロシアの状況を詳細に報告し、高く評価されています。
このため、鎖国時代だったにもかかわらず、
江戸で比較的自由な生活を送り、78歳でこの世を去りました。

このようにロシアと日本とのつながりは意外に古く、
現在では再評価されつつあります。
三重県鈴鹿市は現在、大黒屋光太夫ゆかりの史跡の整備に努め、
歴史を知ることによってロシアについての
理解を深める努力を続けています。

大黒屋光太夫記念館(写真)は、近鉄名古屋線の
伊勢若松駅(急行停車)から歩いて15分ほどです。
http://www.edu.city.suzuka.mie.jp/kodayu/

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コメント(2)
ブルンディ
2008年12月3日
遭難とは、、偶然って恐ろしいですね。

Seaview
2008年12月3日
道場主です

何が新しいコネクションをつくるか、本当に分かりませんね。
鎖国の状況下では、このような方法しかなかったように思えます。
あくまでも結果論ではあるのですが・・・。


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