ネタ評価推進中! ネタ内最下部↓でこのネタの評価をしてください!
(
※)
西洋における芸術の中心といえば やはりイタリアとフランスでしょう
中世においてはイタリアが芸術・文化の中心でありました
しかしフランスに太陽王ルイ14世が現れると芸術・文化の中心がフランスに移ることになります
フランスが巨大なる中央集権国家として勢力を増していくのに対しイタリアはまだ
フィレンチェ ベネチア ミラノ ナポリなどの群小国家が勢力を競っている状態でした
フランスの中央集権国家としての国力増強に力があったのが経済官僚として有名な
コルベール(重農主義で有名。教科書にも載っていた。)でした
そして有名な王立アカデミー(後の
芸術アカデミー)を創設したのもコルベールなのです
もともとアカデミーは画商などの同業者組合に対して芸術家たちの活動の自由と利権を
守るための団体でした
それを再編成し王室の保護の下1648年に設立されたのが絵画彫刻アカデミーです
そしてアカデミーは王室の財政的な援助を受けると同時に王室のために仕事をするのは
アカデミー会員に限られる事と決めました
当時 王権の絶頂期であったフランスではヴェルサイユ宮殿などに見られるように
大掛かりな造営工事などが行われており それらの装飾に関わるアカデミーの会員になることは
芸術家として生活・権威が安定することであったのです
そして同時に芸術論として確立されたのが古典主義的な「アカデミーの美学」です
「アカデミーの美学は絵画を何よりもまず理性に語りかけるのもとする考え方に基づいている
この点において それは絵画を大衆教化の有効な手段として見る者の情動に訴える視覚的効果を
重視したイタリアのバロック芸術と本質的に異なっていた 理性に語りかけるということは
絵画の美をささえるものとして合理的な基準を重んずることである 画家は自己の絵画表現を
感覚的なものではなく合理的な基準に従わせなければならなかった このようにして遠近法
数学的な人体比例 幾何学的な安定した構図・正確な明暗表現などがアカデミーの絵画の
基本となった(中略)画家にとっては このような規則を学んで身につけることが何よりも
大切だったのである」(高階秀爾)
すなわち我が日の出づる国日本の和歌における鶯は梅の枝の上で「ホーホゲギョ」と鳴き
カエルは遠くのほうで「ゲロゲーロ」と鳴くのと同じ考えなのです
そしてアカデミー美学に求められたのは古代ギリシャやローマ ルネッサンス時代の
作品の模倣でした
「しかしながらアカデミーの理論家たちによれば『模倣』すべき対象は『ありのままの自然』
ではなく『あるべき自然』なののです 人間にしても風景にしても現実の姿は不完全であり
正しい基準にしたがってはいない それ故に まず優れた先例をを学んで そこから得られた
正しい基準にのっとって自然を修正することによって『真の理想』が達成されることになる」
(高階秀爾)
このような考え方によって 先達の手本を忠実に模倣する事が画家の技量として求められたのです
そして絵のなかでもランク付けが行われました
絵画は理性に訴えかけるものであるから明確な主題・内容を持っていなければいけないとされたのです
当時の西洋文化の中心をなした思想はキリスト教でした
当然 神話的主題や歴史的な内容を持つ「歴史画」が最上のランクとされ 人間を描く肖像画が
それに次ぎ さらにに風景画そして無生物を描く静物画は最低ランクとされました
そしてそれらの基準を満たしアカデミー主宰の官展に入選したものだけがアカデミー会員として
認められたのです
そしてアカデミーの権威は帝政終焉後も紆余曲折はありながら長い間フランスの西洋の芸術文化を
支配する事となるのです
※シャルル・ル・ブラン(Charles LE BRUN)1619-1690
『ピエール・セギエ、フランス大法官(1588-1672年)』
1655-1661年頃 油彩、カンヴァス
295cm×357cm
ルーヴル美術館所蔵