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千疋屋と銀座千疋屋

◇評価 5ポイント
◇閲覧回数 9,269
◇登録日
2011年6月28日

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今まで知りませんでしたが、千疋屋と銀座千疋屋は違うもの会社なのですね。
もともと千疋屋が1834年(天保5年)に創業して、銀座千疋屋は1894年(明治27年)にのれん分けして独立したようです。
その他にも、1881年(明治14年)に「京橋千疋屋」ものれん分けから。

千疋屋総本店 沿革 〜サイトより〜

1834年 (天保5年)  
武蔵の国埼玉郡千疋の郷(現在の埼玉県越谷市千疋)の侍であった初代弁蔵が江戸、葺屋町(現日本橋人形町3丁目)に「水菓子安うり処」の看板を掲げ、果物と野菜類を商う店を構えた。
1864年 (元治元年) 12月  二代目文蔵が店を継ぐ。文蔵の妻むらが茶の湯の師匠として知られた渡辺治右衛門に茶の湯奉公をした縁で、浅草山谷の料亭八百善に上がるようになった。ここに出入りすることで各界の寵を受け、文蔵は徳川家御用商人ともなった。
1867年 (慶応3年) 6月  三代目大島代次郎生まれる。三代目代次郎は、日本橋本町(室町)に店を移し、しばらくして、当時としては最新式の洋館三階建の店舗とした。三代目は経営の近代化に心を砕き、外国産の果物を輸入し、また国産果物の品質改良に心血を注いだ。結果、我が国初の果物専門店が創立され、千疋屋総本店の基礎が出来あがった。
1881年 (明治14年)   中橋店【現、(株)京橋千疋屋】をのれん分け。
1887年 (明治20年) 1月  四代目大島代次郎(旧名文一郎)生まれる。三代目代次郎はフルーツパーラーの前身となる果物食堂を創業する。
1894年 (明治27年)   銀座店【現、(株)銀座千疋屋】をのれん分け。
1920年 (大正9年) 6月  三代目大島代次郎没。
1925年 (大正14年)   銀座松屋にフルーツパーラー出店。


が、初期の歴史だそうです。
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